京阪電気鉄道時代 乗車券・往復券・回数券
2012年7月7日更新 硬券乗車券を3枚追加
京阪電気鉄道時代 切符 |
ここでは、1930年(昭和5年)〜1943年(昭和18年)間の、京都本線とその支線が京阪電気鉄道(京阪電車)により運行されていた時代の切符について述べます。 当時の鉄道線は、旧新京阪鉄道所属の新京阪線、千里山線(現千里線)、十三線(十三〜淡路)、嵐山線と、京阪電気鉄道所属の京阪本線、宇治線、京津線、石山坂本線が運行されていました。 太平洋戦争前は主に硬券で、戦時中は軟券で発行されていたようです。 |
京阪電気鉄道時代 乗車券・往復券(硬券) |
昭和6年に天神橋駅で発券された、「天~橋より 柴島 淡路間」の7銭硬券乗車券です。 「通用1日 7錢」の記載があります。地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれています。 切符向かって右側に小児乗車券を示す斜め切り取り線(小\)が入っていないのが特徴です。裏面の発行駅には( )括弧が付けられています。 |
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昭和7年に京阪京都駅で発券された、「京阪京キより 上新庄ゆき」の66銭硬券乗車券です。 「通用1日 66錢」の記載があります。地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれています。 判子で「途中下車指定驛」が押されています。 切符の裏面に「途中下車1回」が書かれています。裏面の発行駅には( )括弧が付けられています。 京都の「都」は旧字体の「キ」(者の日の上に点あり)となっています。 |
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昭和10年に十三駅で発券された、「十三より南方 淡路間」の7銭硬券乗車券です。 「通用1日 7錢」の記載があります。地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれています。 この頃から切符向かって右側に小児乗車券を示す斜め切り取り線(小\)が入っています。 裏面には、「燕より速い 新京阪超特急 大津行には乘換なしの連接車」と 「途中下車指定驛」「(十三驛發行)」の記載があります。 当時新京阪線では天神橋(現天神橋筋六丁目)・京阪京都(現大宮)間に超特急、京阪本線では天満橋・大津間に直通特急「びわこ号」が運転されていましたので、 切符裏面に宣伝を兼ねて書かれたものと考えられます。「燕より速い」のキャッチフレーズについては「沿線御案内・パンフレット 線路略図 昭和8年」も参考にして下さい。 |
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昭和11年に京阪京都駅で発券された、「京阪京キより西院 西京極間」の7銭硬券乗車券です。 「通用1日 7錢 途中下車指定驛」の記載があります。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれています。 裏面の発行駅には( )括弧が付けられています。 |
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昭和13年に京阪京都駅で発券された、「京阪京キより 桂ゆき」の8銭硬券乗車券です。 「通用1日 8錢 途中下車指定驛」の記載があります。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれています。裏面の発行駅には( )括弧が付けられています。 |
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昭和15年に旧京阪京都駅(現:大宮駅)で発券された、「京阪京キより淡路ゆき」の60銭硬券乗車券です。 「通用發賣當日限 途中下車指定驛 63錢(改正運賃0円60錢の運賃変更印有り)」の記載があり、 これまでの「通用1日」の文面が「通用発売当日限」に変更されています。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれています。裏面の発行駅には以前付けられていた( )括弧がありません。 |
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昭和16年に旧天神橋駅(現:天神橋筋六丁目駅)で発券された、「天~橋より長柄・柴島間ゆき」の5銭硬券乗車券です。 「通用發賣當日限 途中下車指定驛 5錢」の記載があります。 裏面の発行駅には以前付けられていた( )括弧がありません。 長柄駅は、かつて天神橋・柴島間に存在していた駅で、昭和19年に廃止されました。地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれています。 |
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昭和15又は16年に旧天神橋駅(現:天神橋筋六丁目駅)で発券された、「柴島 天~橋間より京阪京キ 西院間ゆき」の1円20銭硬券往復乗車券の復路券(半券)です。 年号の数字が見えにくいのですが、昭和15年時点で柴島 天神橋間と京阪京都 西院間の往復券は1円20銭(特定運賃、片道は65銭)であったため、数字の形状から昭和15か16年と判断しました。 「通用發賣當日共2日 途中下車指定驛 往復 1圓20錢」の記載があります。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」が書かれていますが、通常券と違い地紋は青で文字部が白抜きとなっています。 |
京阪電気鉄道時代 乗車券(軟券) |
昭和18年に旧四條駅(現:祇園四条駅)で発券された、九區90銭の軟券の乗車券です。 「通用發賣當日限 途中下車指定驛」の記載があります。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」と、中央に大きく社章が描かれています。また、9区を示す1本の太線と4本の細線が縦方向に描かれています。 本券は京阪本線、新京阪線の両用になっていることが特徴で、 京阪本線の「三條(現:三条)・鳥抽X道」〜「天滿橋・関目」間と、 新京阪線の「京阪京都(現:大宮)・西京極」〜「天~橋(現:天神橋筋六丁目)・長柄(廃駅)」及び十三線の「十三・南方」の9区分の区間に対応しています。 |
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昭和19年に旧天神橋駅(現:天神橋筋六丁目駅)で発券された、叄區30銭の軟券の乗車券です。 「通用發賣當日限 途中下車指定駅」の記載があります。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」と、中央に大きく社章が描かれています。また、3区を示す3本の細線が縦方向に描かれています。 3区券は発着駅の組み合わせ数が多いことから、記載されている駅名が17駅と多いです。券面にある「櫻井ノ駅」駅は現在の「上牧」駅です。 本来ならば発行日時点で社名は京阪神急行電鉄になっていますが、戦時中だったためか昔の券をそのまま流用したと考えられます。 |
京阪電気鉄道時代 往復券(軟券) |
昭和19年に旧京阪京都駅(現:大宮駅)で発券された、區内往復券の往路券です。 「通用發賣當日共貳日」の記載があります。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」です。 地紋は楕円状に描かれており、その中央に大きく社章が描かれています。 往復券の切り取り跡が向かって左側にあるので、複券は往復券の左側にあったと考えられます。 |
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昭和18年12月に旧天神橋(現天神橋筋六丁目)駅で発券された、貳區往復券です。販売金額は書かれていません。 「通用發賣當日共二日 途中下車指定駅」の記載があります。 地紋には、京阪電気鉄道の「でんてつ けいはん」「KER」と、左端に社章が描かれています。また、2区を示す2本の細線が縦方向に描かれています。 券が横長であったためか、社章が左側で半分になっており、複券は往復券の左側にあったと考えられます。 本来ならば発行日時点で社名は京阪神急行電鉄になっており、また券面に書かれている高槻町は高槻市に改称されているのですが、戦時中だったためか昔の券をそのまま流用したと考えられます。 |
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軟券の乗車券・回数券は透かしが入っています。 透かしには京阪電気鉄道の社章ではなく、京都市と大阪市の市章が周期的に描かれていました。 京阪電気鉄道の社章はやや複雑なデザイン(京都市の市章が中央に1つあり、それを大阪市の市章が6つ囲んでいる)であるため、簡素化したものと考えられます。 |
京阪電気鉄道時代 回数券 |
昭和13年に旧京阪京都駅で発券された、「京阪京キ−天~橋」の回数乗車券の表紙です。 表紙には発券番号と縦書きで「京阪京キ(三條)−天~橋(天滿橋) 回數乘車券 京阪電氣鐵道株式會社」の記載、 内側には発行日、料金、期限日、利用者記入欄、発行日、発行駅と「此の表紙が附いて居らぬと無效になります」の記載があります。 本券は、京阪本線の「三條(三条)−天滿橋(天満橋)」も利用可能になっています。 新京阪鉄道時代の回数券とほぼ同じ様式となっていますが(参考)、若干変更されています。 裏面の「注意」書きには以下の文面が書かれていました。新京阪鉄道時代と異なる部分は赤字で記載しています。
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地紋は「でんてつ けいはん」「KER」が周期配列されたデザインとなっています。 「KER」はKeihan Electric RailwayまたはRailroadの各単語の頭文字を取ったものと考えられます。 この地紋は新京阪線だけでなく、京阪本線でも採用されていました。 現在の地紋は、「KER」の部分が京阪の旧社章に置き換えられたデザインになっています。 |