硬券

2014年3月16日更新 北千里駅の硬券を追加

硬券
 ここでは、過去に発券された硬券について述べます。もともと軟券が主体であり、管理人が確認した限りですが、 過去に硬券が発行された時期は新京阪鉄道時代、京阪電気鉄道時代(京阪電鉄時代)、京阪神急行電鉄時代です。 なお、阪急電鉄としては2000年ミレニアム硬券が発行されましたが、記念券のため除外します。
 阪急主体の硬券が少ないので、今回は他社で発券された硬券についても取り扱うことにします。
新京阪鉄道時代
左:旧天神橋駅発行の乗車券 右:裏側

昭和6年の新京阪鉄道時代に、旧天神橋駅(現:天神橋筋六丁目駅)で発券された、「天神橋より上新庄ゆき」の硬券乗車券です。 詳細は「新京阪鉄道時代 切符」をご覧下さい。
京阪電気鉄道時代
左:旧天神橋駅発行の乗車券 右:裏側

昭和16年の京阪電気鉄道時代に、旧天神橋駅(現:天神橋筋六丁目駅)で発券された、「天~橋より長柄・柴島間ゆき」の硬券乗車券です。 詳細は「京阪電気鉄道時代 切符」をご覧下さい。
京阪神急行電鉄時代
左:表面 右:裏面

京阪神急行電鉄時代に、北千里駅で発行された昭和42年の1区20円硬券乗車券と昭和43年の接4区70円硬券乗車券です。 自動改札機が北千里駅で運用開始された昭和42年のもので、光学読み取り式です。 切符の裏面にバーコードが印字されているのが特徴です。左右どちらかに四角形状の鋏で入鋏されています。

左右端の□の数で区数を反映しており、1区と4区とでバーコードの位置が同じで縦の長さが異なる印字になっています。 光学読み取りで切符を判別していた箇所がバーコードの縦の長さなのか、区数の□の部分なのかは不明ですが、 実際には発駅では切符の判別はされず単に切符であるという判別だけ実施し、着駅では人の手で回収されていたのではないかと推測されます。 後に、光学読み取り式は磁気読み取り式へと代わりました。

左:表面 右:裏面

昭和42年の京阪神急行時代に、北千里駅で発行された硬券の試乗券です。 光学読み取り式で、オークションでは入鋏の形状が四角形状と○穴になっているタイプの両方が確認されています。 実際の運用開始以降には四角形状での入鋏になっていることから、○穴は廃札流れのものである可能性が示唆されます。
神戸電鉄連絡券
左:表面 右:裏面

昭和52年に神戸電鉄鈴蘭台西口駅で発券された他社連絡乗車券です。神戸高速線への連絡券ですが、阪急三宮の表示が記載されていましたので掲載しました。

昭和60年に神戸電鉄湊川駅で発券された阪急連絡乗車券で、正雀・箕面・南千里まで有効の乗車券です。着駅が多いためか、A型硬券サイズになっています。

昭和56年の神戸電氣鉄道と名乗っていた時代に栄駅で発券された阪急連絡乗車券で、西灘(現:王子公園)まで有効の乗車券です。
日本国有鉄道(国鉄)連絡券
昭和61年に国鉄武田尾駅で発券された阪急連絡乗車券です。左が西宮北口ゆき、右が阪急三宮ゆきです。なお、JRになった現在でもマルス券で 阪急線への連絡乗車券の発行は可能ですが、全ての駅で発券出来るわけではなく、発駅(JR)と着駅(阪急)は限られています。

昭和43年に国鉄森ノ宮駅で発券された阪急石橋ゆき連絡乗車券です。当時阪急電鉄は京阪神急行電鉄でしたが、切符への記載には「阪急」の名称が使われていました。

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