阪神急行電鉄 沿線案内 大正10年 その1

2009年1月31日更新

@線路圖
線路図には、宝塚線・箕面線・神戸線・伊丹線・西宝線と、他社線区である北大阪電気鉄道の十三〜千里山間、能勢電気鉄道(能勢電鉄)の妙見線が描かれています。 但し、神戸線は「阪神急行線」と表記されています。

地図内には各地名所の他に、変電所も記載されており、神崎川、西宮北口、六甲の各駅近くに描かれています。また、車庫が西宮北口に描かれています。

西宮北口から南側へ出て西の「西宮町」に至る未成線は、現在の今津線にあたる線で、当時は阪神西宮近くまでの乗り入れを目論んでいました。 また、神戸(旧上筒井、現在廃止)から西側へ至る線は、現在の三宮までの延長区間です。

大阪沿線にはかつて宝塚・神戸線上に存在した「北野」「新淀川」があります。 駅名のうち、梅田が「大阪」、箕面が「箕面公園」、門戸厄神が「門戸厄神前」甲東園が「甲東園前」となっています。 梅田と箕面は便宜上使われた名称と考えられますが、後者2つの「前」という表記を付けた意図は不明です。また、甲東園開業時には牧落も開業していたはずですが、 線路図に記載されておらず、この意図も不明です。
A会社案内
会社案内には当時競合していた阪神電気鉄道(阪神電車)に対して攻撃的な文面が書かれています。 一方で、自社線は「混み合っていない=ガラアキ」であると自嘲気味に表現しているのが面白いです。

本文面の題目は「乗り心地よき阪神急行電車」と書かれています。この「阪神急行電車」の言葉が省略されて後の「阪急電車」という言葉を生み出されました。以下、上記文面をパソコンで表示出来る限り当時の言葉・漢字で記載します。

乘心地よき阪神急行電車
  • 大阪と神戸の両都市を絡する阪神急行電車は見渡す限りを直線で勾配も少ない上に車輌が竒麗で大きいから實に乘心地が良い. 中間に停留所の數が僅に八つしかないから(阪神電車の中間停留所は三十三個所)一々停車する煩いが少なくて速力が非常に早い
  • 只今の處では日午前五時から午後十二時まで五分乃至十分に運轉して居りますけれど お客様の増加に從うてイクラデモ車を出します. 又速力も大阪神戸間を四十分で走って居りますが遠からず三十五分で行けるやうに致します
  • 朝五時から夜十二時迠五分乃至十分に發車一日約六千哩走って居りますけれど お客様の数は一日均僅かに一万二三千人位しかないのですから車内は込み合はず樂々と乘ることが出来ます(阪神電車は日大凡一万五千哩位走って其乘客数は約十一萬人位です)速力が早くて乘心地がよろしいから此電車に乘って六甲、御影、芦屋川、夙川など松林の景色のよい台から、海を見晴して壯快に走る時は實に何とも言へないよい心持になって愉快に往復(ゆきき)が出来るのであります
  • 大阪は田の玄関先、神戸は上筒井で市電に連絡してゐるから便利です. 而も神戸市の上筒井は市電の終点ですから此處から出る電車は皆ガラアキでゆっくりお掛けになる事が出来ます.
  • 神戸方面から宝塚に遊ばれる方は此電車で西宮北口で宝塚行にお乘替へになれば僅か三十七分間で行く事が出来ます 來春早々からは神戸から宝塚行直電車を出しますがそうすれば三十分で行ける事になります. 又六甲登山は六甲停留所から、ラジユーム温泉苦樂園、カルバス温泉 甲陽園行は夙川停留所からいづれも此電車で行くと大變便利になりました

     大正十年十月
阪神急行電鐵株式會社

注)"一","ツ","ケ"の組合せ字は「所」の異字体、乃至=ないし
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